【とある日のモノローグ #36】サカナクションの魅力について
更新日 : 2026年1月15日
今夜は、私自身の心の深い部分で鳴り続けている、ある音楽と、その表現者の生き方についてお話しさせてください。病院実習という、時に命の重みや人間の弱さに直面する現場に身を置きながら、私の耳に、そして魂にいつも寄り添ってくれるのが「サカナクション」の音楽です。ボーカルの山口一郎さんが、うつ病という非常に深い淵を経験し、そこから再び立ち上がってステージに戻ってきたその過程には、一言では言い表せないほどの敬意と、震えるような感動を覚えずにはいられないのです。
暗闇を歩いた人だけが放てる、言葉の重み
山口さんは休養期間を経て、少しずつ活動を再開されましたが、最近ではSNSのライブ配信などを通じて、ファンの悩みに対して真っ正面から向き合っていらっしゃいますよね。そこで彼が発する言葉の一つひとつには、暗闇の底を這いずり、絶望を肌で感じてきた人だけが持つ、独特の「質感」と「重み」が宿っているように思うのです。
例えば、配信の中で独りでいることに不安を感じている人に向けて贈った、「それは孤独ではなくて、孤高なんだよ」という言葉。単に一人ぼっちでいる寂しさを肯定するのではなく、自分の意志で自分自身を磨き上げている高貴な状態なのだ、という再定義は、どれほど多くの人の救いになったことでしょう。あるいは、病と向き合う中で語られた、「うつ病になる前の自分にはもう戻れないけれど、今の新しい自分として、この自分と一緒に生きていくんだ」という静かな覚悟。医学を学ぶ私にとって、「完治して元通りになる」ことがゴールだと思っていた価値観が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちた瞬間でした。
かつての自分に戻るのではなく、変化してしまった自分を丸ごと抱えて、新しいステージへと歩み出す。この考え方は、受験という極限のプレッシャーの中で「昔のようには集中できない」「以前の自分より劣っている」と、過去の自分を追いかけて苦しんでいる学生さんたちにとっても、これ以上ないほど誠実なメッセージになるのではないかと感じるのです。彼の言葉は、決して耳当たりのいいだけの慰めではありません。でも、絶望を共有した上で放たれるその言葉は、何よりも温かく、私たちの心の隙間に染み渡るのです。
魂を削って生み出される、奇跡のような音楽
そして、そうした壮絶な葛藤の末に届けられる音楽が、あまりに素晴らしすぎて、聴くたびに胸が熱くなります。私が特におすすめしたい一曲は、やはり「目が明く藍色」です。7分近くに及ぶこの大作は、まるで人間の深層心理を深く深く潜っていき、混沌とした中から最後に一筋の光を掴み取るような、一つの壮大なドラマを見ているような感覚に陥ります。合唱パートが重なり合うあの中毒性と、最後の一音が消えた後の静寂。あの楽曲は、もはやエンターテインメントの枠を超えた「魂の叫び」そのものだと言っても過言ではないのではないでしょうか。
また、研ぎ澄まされた疾走感の中に、どこか冷たく、けれど燃えるような情熱を含んだ「Aoi」も外せません。さらに、湿り気を帯びた切なさと、ダンスミュージックとしての高揚感が同居する「陽炎」。どの曲を聴いても、山口さんが一音一句に命を削るようにして向き合い、私たちが言葉にできない「違和感」や「痛み」を鮮やかに音像化してくれていることが伝わってきます。そして弾き語りで魅入られた「フクロウ」。
今のサカナクションが鳴らす音は、単なる音楽を超えて、誰かの暗闇を照らす「祈り」に近いものになっている気がします。山口さんの復活という事実は、私たちに「人は何度でも新しくなれるし、壊れた自分とも一緒に生きていける」という希望を、理屈ではなくメロディで教えてくれているのではないでしょうか。もし今、あなたが将来への不安や、自分自身の現状に絶望しそうになっているなら、ぜひ一度彼らの音に身を浸してみてほしいなと思います。
彼らの音楽を聴きながら病院実習の帰り道を歩いていると、私もまた明日、誰かの痛みに誠実に向き合える医師、そして教育者でありたい、という強い勇気が湧いてきます。素晴らしい表現者の存在が、誰かの人生をここまで支える「光」になる。その奇跡のような循環を、私はこれからもずっと大切に、誇りに思っていきたいのです。サカナクションの音楽が、今夜もどこかで自分の「孤高」を守り抜こうと戦うあなたに、優しく寄り添っていますように。
あとライブ行かせてください、切実に。昨年は一回しか会いに行くことができませんでした。今年は何回でも機会があるならライブ行きたいなあ。