【とある日のmonologue #19】
更新日 : 2025年10月28日
秋の夜長、という言葉がありますが、最近はまさにそんな夜が続いています。私も、寝る前の少しの時間、ベッドサイドの灯りだけで、ゆっくりと本を読むのが習慣になっています。最近、久しぶりに本棚から取り出して、再読した一冊があります。エーリッヒ・フロムの『愛するということ』という本です。
『愛するということ』なんていうタイトルですから、恋愛小説や、心地よい言葉が並んだエッセイを想像するかもしれません。でも、この本は、そういう類のものとは全く違います。むしろ、非常に厳しく、そして誠実に、「愛は技術である」ということを、繰り返し説く本です。
私たちは、愛を運命的に「落ちる」ものだと思いがちです。でもフロムはそれは違うと。愛とはその時の感情に身を任せることではなく、自らの意思で選び取り、能動的に働きかける活動であり、練習と努力、そして深い理解を必要とする「技術」なのだと彼は言います。
なぜ、この一見すると厳しい言葉が、これほど私の胸に突き刺さるのか。それは、私自身が、この「技術」を持っていなかったことで、かつて自分の最も大切な人を深く傷つけてしまった経験があるからです。当時の私は、精神的に全く自立していませんでした。相手を愛するというより、相手に愛されることで自分の存在価値を見出そうとしていた。フロムの言葉を借りるなら、未熟な愛です。その結果、私は最愛の女性を失い、心が抉られるような後悔だけが、長い間私の中に残り続けました。
だからこそ、この本に書かれていることが痛いほど分かるのです。そして、この考え方は、私が生徒たちと向き合う上で大切にしていることと、どこか深く通じているようにも感じます。勉強も、最初は「才能」や「ひらめき」が全てだと思いがちです。でも、本当に学力を支えるのは、毎日の地道な練習であり、一つのことを深く知ろうとする集中力や規律です。
フロムが言う「愛の技術」と、私たちが日々取り組んでいる「学ぶ技術」は、その根っこで繋がっているのかもしれない。そんなことを、ページをめくりながら考えていました。誰かを、あるいは何かを、本当に大切に思うということは、ただ感情的に惹かれることではない。相手を知ろうと努力し、自分自身を律し、根気強く関わり続けること。それは、とてもエネルギーのいる、そして尊い営みです。
この本を読むと、いつも、自分の周りの人との関わり方を、一つひとつ見直したくなります。そして、学ぶということ、それ自体への向き合い方も。ただ知識を詰め込むのではなく、その対象を深く「愛する」ように関わっていくこと。そんな姿勢を、私も持ち続けたいと思うのです。