【とある日のmonologue #6】ストリーミング時代にあえて「CD」を買い続けたい!
更新日 : 2025年9月20日
突然ですが、皆さんは音楽をどうやって聴いていますか?
たぶん、ほとんどの人は現在スマホのストリーミングサービス(サブスク)を使っているんじゃないかな。僕ももちろん使っています。何千万曲という、人類の音楽の歴史が、月々1000円くらいで聴き放題なんて、冷静に考えて、とんでもない時代ですよね。便利すぎる。
でもそんな時代にあえて、今でもCDを買い続けています。部屋の棚はもうCDでパンパン。友達からは「え、なんで?場所取るし、面倒くさくない?」なんて、不思議な顔をされることもしばしば。
自分でも、非効率だなって思うこともあります。でも僕にはどうしてもやめられない理由があるんです。今日はそんな僕のちょっと時代遅れかもしれない「CD愛」について、少しだけ語らせてください。
きっかけは、やっぱりユニゾンだった
僕が、本格的にCDを”所有”することに目覚めたきっかけは、以前にもこのブログで熱く語らせてもらった、UNISON SQUARE GARDENでした。
彼らの音楽に衝撃を受けて、ただ曲を聴くだけじゃ、物足りなくなったんです。「この歌詞は、どんな想いで書かれたんだろう?」「このジャケットのデザインには、どんな意味があるんだろう?」…もっと、彼らの作る”作品”を、深く、深く、知りたくなった。
その欲求を満たしてくれたのが、CDのブックレット(歌詞カード)でした。そこに書かれた歌詞のレイアウト、写真、そして、CDの最後についている「スペシャルサンクス」の欄。誰に感謝を伝えているのかを眺めていると、そのアルバムが作られた背景が、うっすらと見えてくる気がするんです。そういう、音楽以外の”周辺情報”に触れるのが、僕はたまらなく好きなんですよね。それは、ストリーミングの画面からは、決して得られない体験でした。
モノを「所有」することと、アーティストへの「敬意」
ストリーミングの音楽って、すごく手軽で、生活に溶け込んでくれるけど、一方で、少しだけ”軽く”感じてしまう瞬間があります。次から次へと流れていって、記憶に残りにくいというか。
でも、自分のお小遣いを貯めて、ドキドキしながらレジに持って行った一枚のCDは、全く違う。ズシリとした”モノ”としての重みがある。家に帰って、丁寧にフィルムを剥がして、初めてプレーヤーにセットする、あの儀式のような時間。その行為全体が、その音楽を、僕にとってすごく”特別”なものにしてくれるんです。
そして、それは、僕なりの、アーティストへの「敬意」の示し方なのかもしれません。この一枚の円盤に、どれだけの人の、どれだけの時間と情熱が注がれているんだろう、と想像する。そう思うと、大切に、何度も、繰り返し聴こう、という気持ちになる。僕にとってCDを買うことは、素晴らしい作品を生み出してくれたことへの、「ありがとう」という気持ちを込めた、一票を投じるような行為なんです。
この感覚って、勉強にも通じる気がする
と、ここまで話して、僕はふと思ったんです。「これって、もしかして、勉強の仕方にも、同じことが言えるんじゃないか?」って。
今の時代、勉強も、すごく”手軽”になりましたよね。YouTubeで、有名な先生の分かりやすい解説動画を、無料でいくらでも見ることができる。まるで、勉強の”ストリーミング”みたいに。
それはすごく良いこと。でも、それだけで本当に”深い学び”に到達できるのかな?って僕は時々考えてしまうんです。
数学の公式の、成り立ちの証明を、じっくり時間をかけて読んでみる。歴史の教科書の、脚注に書かれた小さなコラムまで、味わって読んでみる。英単語の語源まで遡って、その成り立ちを調べてみる。
一見、すごく非効率で遠回りに見えるかもしれません。でもそういう”CDをじっくり聴き込む”ような学び方こそが、知識を、ただの”情報”から、君の血肉となる”教養”へと変えてくれるんじゃないか。僕はそんな風に思うんです。
もちろん、サブスクがダメで、CDが最高!なんて、言うつもりは全くありません。僕だって、毎日サブスクで新しい音楽との出会いを楽しんでいます。
ただ、効率や手軽さだけが、世界の全ての価値じゃない。時には、一つのことを、じっくり、深く、味わってみる。そんな時間の中にこそ、人生を豊かにする、大切な何かが隠れているのかもしれない。
そんなことを、増え続けるCDの棚を眺めながら考えました。