毎日の中に「小さな幸せ」を見つける感度を磨きたい!!
更新日 : 2025年9月12日
ここ最近メンタルについて深掘りしているわけですが、なんでかっていうと僕自身が豆腐メンタルだからなんですね。すぐ不安になるし、ナヨナヨしてるし、後悔するし、すぐ嫉妬するし、、これ以上はやめておきますが笑
でもなんだかんだ僕は僕のことが好きだし、生きてるだけで幸せなんだなってつくづく思うようになって結構心が軽くなった気がするんですね。なので一つ質問です。
君は今、幸せですか?
…なんて、いきなり変な質問をしてごめん笑。でも、受験勉強に没頭していると、僕たちはいつの間にか、「幸せ」っていう感覚を、どこか遠い未来に設定してしまっている気がするんです。
「第一志望に合格したら、幸せになれる」
「次の模試でA判定が出たら、幸せになれる」
そうやって、未来の”結果”ばかりを追い求めていると、今の毎日は、ただの「我慢の時間」「苦しい修行」になってしまう。そして、心はどんどん乾いていっちゃうと思うんです。今日は、そんな君の心に、少しだけ潤いを与えるかもしれない、”視点を変える”お話をさせてください。
僕たちは、いつの間にか”欠乏感”の奴隷になっている
受験生の毎日は、「足りないもの」を探すことから始まりますよね。
「英単語の知識が、まだ足りない」
「合格点まで、あと20点足りない」
「勉強時間が、全然足りない」
この「足りない、足りない」という”欠乏感”は、向上心のためには必要かもしれません。でも、これが行き過ぎると、僕たちの心は、常に何かに追われるような、不安で、焦った状態になってしまうんです。まるで、穴の空いたバケツで、必死に水を汲もうとしているみたいに。
でも、本当に、君の世界は「足りないもの」だけで、できているでしょうか?
「当たり前」という名の”奇跡”に、目を向けてみる
僕が受験生で、本当に心がささくれ立っていた時、祖母にこう言われたことがあります。「勉強できる机があって、あったかいご飯が食べられて、それだけで、あんたは幸せもんだよ」と。
当時の僕は、「そんなこと言ったって、こっちの苦労も知らないくせに!」なんて、心の中で反発していました。でも、大人になった今なら、その言葉の本当の意味が、少しだけ分かる気がします。
僕たちが、毎日「当たり前」だと思って、通り過ぎてしまっていること。その一つひとつが、実は、とんでもなく貴重で、ありがたい”奇跡”なんじゃないか、と。
- 「勉強ができる」という奇跡:
君には、勉強するための机がある。参考書がある。その参考書を買ってくれた人がいる。そして何より、新しい知識を吸収できる、健康な脳と体がある。これって、世界の全ての子どもたちが、手にできるわけじゃない、ものすごい幸運です。 - 「ご飯が美味しい」という奇跡:
君が勉強している間に、ご飯を作ってくれる人がいる。そのご飯を「美味しい」と感じられる、健康な体がある。その食事が、君の脳を動かすエネルギーになる。これも、当たり前じゃない、すごい奇跡です。 - 「話せる友達がいる」という奇跡:
「もう無理かも」って思った時に、「大丈夫だよ」って励ましてくれる友達がいる。たわいもない話で、一緒に笑ってくれる仲間がいる。その繋がりが、どれだけ君の心を救ってくれているか。
こうやって見てみると、君の世界は「足りないもの」ばかりじゃなく、たくさんの「満たされているもの」で、溢れていませんか?
”幸せの感度”を高める、ちょっとした習慣
この「満たされている」感覚に気づくための、感度のトレーニング。僕が今でも続けている、すごく簡単な習慣があります。それは、夜寝る前に、今日あった「良かったこと」を、3つだけ思い出すことです。
本当に、どんな些細なことでもいいんです。
「今日の昼ごはんの唐揚げが、めちゃくちゃ美味しかったな」
「帰りに見た夕焼けが、すごく綺麗だったな」
「友達が、面白い動画を教えてくれたな」
「昨日まで分からなかった数学の問題が、今日、スッと理解できたな」
これを続けると、脳が、日常の中に隠れている「良いこと」を、積極的に探すクセがついてくるんです。まるで、幸せを見つけるための”アンテナ”の感度が、どんどん良くなっていくみたいに。
もちろん、受験は、未来の目標に向かって努力する、厳しい道のりです。それは間違いありません。
でも、忘れないでほしくて君の人生は、何かの条件を達成するためにあるんじゃないんだと思うんです。今、この瞬間も、紛れもなく君の、たった一度の、かけがえのない人生の一部です。
未来の大きな幸せを追い求めるのと同じくらい、今の、足元にある小さな幸せを、一つひとつ、大切に拾い集めていく。その温かい心のエネルギーこそが、結果的に、君を一番行きたい場所まで、運んでくれるんじゃないかな、と僕は信じています。
たまには、ペンを置いて、深呼吸。君の周りにある、たくさんの”奇跡”に、気づいてくれると、僕はとっても嬉しいです。