対話の中で教えてくれたこと
更新日 : 2025年8月27日
前回、研修初日にして「日常会話レベルの英語」と「医療現場の英語」との間にある、巨大な壁にぶつかった話までしました。私の「帰国子女」という自信は、見事に砕け散りました。しかし、落ち込んでいる暇など、この研修は与えてくれませんでした。「正しさ」だけでは、心は開かない
2日目から、研修はいよいよ本格的な臨床シミュレーションへと移行します。今回は、アメリカの医学教育の根幹をなすと言われる、2つの重要な訓練、「History Taking(医療面接)」と「Case Presentation(症例報告)」での、私の忘れられない体験についてお話しします。
History Taking(医療面接):漏れなく丁寧に診断の第一歩
最初の訓練は「History Taking」でした。午前は日本人の参加者同士で練習を積みました。やはり同じ日本人ということもあってわからなくなったら日本語を交えたり、お互い第一言語ではないことを指定いるのでなんとなくまだ緊張はしていませんでした。午後になると現地の医学生と二人一組になり、現地の学生が演じる「模擬患者」さんから、症状や病歴を聞き出す、いわゆる問診のトレーニングです。
何人ものペアと練習を重ねていく時間。端的に感想をいうと
ーーーーー「なんて難しいんだ!!!!」
これは日本の医学部では勉強したことのない経験でした。最初はテンプレートに則って練習する日々でした。なんとなくできるようになるのですが、隣を見たら私よりもスラスラと端的に聞き出していたり、鑑別疾患をしっかり考えた上で質問をあえて絞ったりとハイレベルな学生がうじゃうじゃいました。
これには思わず後ずさりしました。自分が一番得意だと思っていた英語力というのはあくまでもできるのであって、実用的なレベルで言うと彼ら彼女らの方が何倍も上でした。
それだけでなく
「こんにちは。今日担当させていただく医学生の〇〇です。本日はいかがなさいましたか?」
「今日は大変でしたね。来てくれてありがとう。…その腹痛、あなたの生活にどんな影響が出ていますか?」
「突然の痛みで困惑しておられるのですね。一緒に原因を探っていきましょう」
と言った共感力もまた素晴らしいものがありました。
私がやっていたのは、ただの「情報収集」でした。しかし、皆さんがやっていたのは、患者さんの不安や生活背景に寄り添う「対話」だったのです。そして、その共感的な姿勢(empathy)こそが、患者さんの心を解きほぐし、結果として、私が得られなかった、より本質的な診断情報(不安という精神的要因など)を引き出していました。
正しい質問を、正しい順番ですること。それだけでは不十分なのだと、この時、痛感させられました。
続く、、