特別な日々のために、特別じゃない一日を
更新日 : 2025年10月24日
最近、日が暮れるのが本当に早くなったな、と感じます。塾の窓から見える空がすっかり暗くなってから、生徒たちがぞろぞろと帰っていく。その背中を見送りながら、ふと彼らの一日は、一体どれくらいが「受験勉強」で、どれくらいが「それ以外の日常」なのだろうか、と考えることがあります。
入試本番が近づくにつれて、「勉強以外の時間をできるだけ削らなければ」と思ってしまうのは、とても自然なことです。友人との他愛ない会話、家族と食卓を囲む時間、通学路の景色をぼんやりと眺めるひととき。そうしたものが、少しずつ勉強の時間に置き換えられていく。
でも、私自身の経験を振り返ってみても、何か大きな目標に挑戦している時ほど、そういう「何でもない時間」が、実は自分を支えてくれていたように思うのです。一日中気を張り詰めていては、どんな人間でも疲れてしまいます。心が疲れてしまうと、勉強の効率も、質もどうしても下がってしまう。
家族と一緒に食べる、温かい夕食の時間。学校の休み時間に、友達と本当に他愛のないことで笑い合う、数分間。そうした一見、勉強とは関係のない、当たり前の日常こそが、私たちの心を地面にしっかりとつなぎとめてくれるアンカーのような役割を果たしてくれるのではないでしょうか。
心が安定して、初めて、私たちは質の高い勉強ができる。その土台となるのが、足元にある「日常」なのだと私は信じています。特別な目標に挑むからこそ、特別じゃない一日を、丁寧に過ごす。この考え方は、受験だけでなく、きっとこの先の人生でもずっと大切になることなのだろうな、と。この仕事をしていると、生徒たちの頑張る姿を通して、私自身がいつも教えられているような気がするのです。