「もう、だめかもしれない」と聞こえた夜に
更新日 : 2025年10月19日
深夜、静まり返った家の中。ふとリビングに出てみると、テーブルの椅子に、うなだれるように座っている我が子の姿があった。「どうしたの?」と声をかけると、ぽつり、ぽつりと、これまで溜め込んできたであろう弱音や不安が、堰を切ったように溢れ出してくる。そんな経験をされたことはありませんか。
「この前の模試、本当にひどかったんだ」「もう、間に合わないかもしれない」。そうした言葉を聞くと、親として、何か気の利いたアドバイスをしなければ、あるいは「弱音を吐いていないで頑張りなさい」と叱咤激励しなければ、と思ってしまうかもしれません。そのお気持ちは、痛いほどよく分かります。
私自身、まだ子育てというものを経験したことはありませんが、もし私が親という立場でその場にいたら、おそらく何のアドバイスも、激励もしないと思います。ただ、温かいお茶でも淹れて、隣に座って、「そうか、そうか」と、その言葉を最後までただ静かに聞くことに徹するでしょう。
なぜなら、子どもが本当に求めているのは、正しい答えや、背中を押す言葉ではないことが多いからです。彼らが一番欲しいのは、自分のこのどうしようもない不安や、情けない気持ちを、誰かにただ受け止めてもらうこと。評価も判断もされず「そうか、今そんなに辛いんだね」と共感してもらえる時間と空間。それだけなのではないか、と私は思うのです。
家庭という場所は、子どもにとって最後の「安全基地」であってほしい。社会や学校でどれだけ厳しい競争に晒されても、どんなに思うような結果が出なくても、「ここに戻ってくれば大丈夫だ」と思える場所。その絶対的な安心感が、子どもがもう一度外の世界で戦うための一番のエネルギー源になります。
アドバイスは、いつでもできます。でも子どもの心の奥底からの声を、ただ静かに受け止めてあげることはその瞬間にしかできません。家庭がお子さんにとって何よりも心安らぐ「安全基地」であり続けること。その大切さを自分が親になった時にそうした対応ができるよう、今からでも友人たちとそう接していけたらと思っています。