【とある日のmonologue #15】愛犬が旅立って三年が経つ
更新日 : 2025年10月8日
皆さんに、今日は私の個人的な話を聞いてほしいと思います。私の愛犬がこの世を旅立ってから、もうすぐ三年という月日が経とうとしています。
あの日から時間というのは不思議なもので、あっという間だったような、でもずっと昔のことだったような、そんな曖昧な感覚で流れていきます。彼女のいない生活にも、もうすっかり慣れてしまったはずなのに、ふとした瞬間にまるでそこにいるかのように彼女の気配を感じて、胸が締め付けられることがあります。
気づけなかった悔しみ
彼女は末期の皮膚がんでした。最初は肉球に変なピンク色のできものがあったな、くらいでした。動物病院に行ってもただの湿疹だ的なことでスルーされたのを覚えています。
そこから数ヶ月経った頃、おかしいくらいに大きくなってるのを流石に不安になり病院を変えました。しかしそこでもがんとは診断されませんでした。
医療ミスだ!と騒ぐわけではありません。調べていくと皮膚がんというのはかなり特殊なもので診断がつけにくい、とのことでした。けれども医師ならちゃんと診断をつけてくれよ、と思いました。それが今でも自分が医師となった時の戒めとして心にしまっております。
すでにがんと診断つけられたときには全身に転移しており、選択肢は「安楽死」か「鎮痛剤による様子見」しかありませんでした。
あまりにも辛い選択。そもそも早くに気づいてあげてれば、こんなことにはならなかったのに、と思いました。
お別れは満月の夜
私は当時すでに関西に引っ越していたので、関東の実家にいた犬にはなかなか会えていませんでした。犬の1ヶ月は何年とも言うように、帰省のたびにしか会えないものの、彼女はいつも満面の笑みで駆け寄ってくれていました。
「もうもたないかもしれない」
そう家族から報告を受け、学校を休み、一目散で新幹線に飛び乗りました。間に合ってくれ、と心の中で何回も唱えました。
幸い私は間に合いました。もう自力でご飯を食べることも、水を飲むことも難しくなっていました。あんなに食べることが大好きで、私にご飯をせがんでいた彼女のそんな姿を見るのは、死期を実感するのには十分でした。
そこからたくさん話して、たくさん撫でて、たくさん一緒に寝ました。
私がどうしても学校のテストの関係で帰らないと行けなくなりました。
「ごめんね、最後まで一緒に、いれなくて、愛してるよ」
そう何度も何度も彼女に伝えましたが、苦しいのでしょう。ベッドからは起き上がりませんでした。そして荷物を持って玄関に行くと、ぽたぽたと足を引き摺りながら見送りに来てくれたのです。
その瞬間涙が込み上げました。これが最後の別れだって気づいたんだね。ほんとうに最後の最後のお別れをしました。
それから数日後の夜、とっても綺麗な満月の日でした。親から亡くなったと連絡がきました。
最期は、苦しむことなく、ただ、眠るように。だったそうです。ふと目を離した瞬間に亡くなったようで、母はひどく悲しんでいました。最後にそばにいれなかったと。それを言うなら私もだよ。
あの時の、胸が引き裂かれるような痛みは、今でも鮮明に覚えています。どんなに時間が経っても、忘れることはないだろうと思います。
彼女が教えてくれたこと
彼は、私が高校を卒業して、大学生になって、本当に色々なことがあった時期をずっとそばで支えてくれました。私がどんなに疲れて帰ってきても、玄関で尻尾を振って迎え入れてくれる。ただそれだけのことが、私にとってどれほど大きな救いだったか計り知れません。
彼女と過ごした時間は、私にたくさんのことを教えてくれました。命の尊さ、共に過ごす時間のかけがえのなさ。そして、喜びも、悲しみも、全てを受け入れて、今を生きること。何よりも、無償の愛というものが、これほどまでに温かく、力強いものであることを、彼女はその小さな体で、私に教えてくれたのです。
悲しみと共に今を生きる
今でも、彼女の写真を見るたびに、涙が溢れてくることがあります。でもその涙はもうただ悲しいだけの涙ではありません。彼女と過ごしたあの温かい時間への、感謝の涙です。
彼女はもうここにいません。でも彼女がくれたたくさんの愛情と出会えたことへの感謝は、私の心の中に確かに生き続けています。そしてこれからも私の人生をずっと照らし続けてくれるでしょう。
私は彼女からもらった愛を胸に今日も、そしてこれからも、一日一日を大切に生きていこうと思っています。
「出会ってくれてありがとう、家族になってくれてありがとう!」
