【とある日のmonologue #12】電車の「終点」という空間が好きだ。
更新日 : 2025年10月3日
皆さんは、特別に好きだったり、なぜか心が惹かれたりする「場所」ってありますか。私にとって、その一つが、電車の「終点」なんです。
例えば身近なところで言うと、私たちが毎日使っているあの阪急神戸線の終点、「大阪梅田駅」。
あのとんでもなく広くて、色んな分かれ道があって、人々が行き交う、巨大なターミナルの空気が、昔から、どうしようもなく好きでした。
今日は、そんな私の少し変わった好みについて、話してみたいと思います。
「終わり」の場所が一番「始まり」に満ちている
ホームに電車が滑り込み、プシュー、という音と共にドアが開くと、たくさんの人が、一斉に降りていきますよね。彼らは、電車にとっては「終わり」の場所に降り立ったわけですが、その足取りは、全く「終わり」を感じさせません。
これから仕事に向かう人、友達と会うために少し早足になる人、大きな荷物を持って旅行に向かう人、そして、たくさんの期待を胸に、この街にやってきた人。たくさんの、人生の「始まり」が、あの場所には、溢れているように感じるんです。
出会いと、別れと、希望と、少しの疲労と。いろんな人生が、一瞬だけ、あの場所で交差して、また、それぞれの目的地へと散っていく。その光景を眺めているのが、私は、たまらなく好きなんです。
始点と終点は、本当はないのかもしれない
昔、『ヨルタモリ』という、私の大好きなテレビ番組がありました。その中で、タモリさんが、こんな意味の言葉を、ぽつり、と語っていたのを、今でも覚えています。
「始まりは 何かの終わりでもあり
終わりはまた 何かの始まりでもある
始点・終点は 実はないのかもしれない」
この言葉、受験勉強をしている皆さんの毎日に、すごく、しっくりくると思いませんか。例えば、「夏休みが終わった」というのは、一つの「終わり」です。でも、それは同時に、「2学期からの、新しい戦いの始まり」でもあります。「一つの参考書を終わらせた」というのも、”終わり”であると同時に、”次のレベルの参考書への、始まり”です。
そう考えると、私たちの毎日は、無数の「終わり」と「始まり」で、できているんですね。
私たちが毎日、塾に通うために乗る、あのマルーンカラーの電車も、毎日、終点と始点を行き来しています。でも、それは、円環のように、ずっと繋がり続けている。私たちの学びも、人生も、きっと、それと同じなのかもしれません。
もし、あなたが今、「もう終わりだ」と感じるような、苦しい状況にいるとしたら。それは、きっと、何か新しいことが「始まる」ための、大切なサインです。終点のホームに立った時、見える景色は、決して、絶望だけじゃない。
そんなことを、梅田駅のホームの端っこで、ぼんやりと考えたりしています。