【とある日のmonologue #11】人からどう思われるかも大事だけれど。
更新日 : 2025年10月1日
皆さんは、日々の生活の中でどれくらい「他人の視線」を意識して生きているでしょうか。
もちろん、社会で生きていく以上、周りの人から自分がどう見られているか、というのはすごく大事なことだと私も思います。でも、最近それと同じくらい、いやもしかしたらそれ以上に、私が大切にしたいな、と感じている価値観があるんです。
それは、人からどう思われるか、ということよりも、自分自身が、自分の行動に「筋を通せているか」ということです。
「筋を通す」って、なんだろう
「筋を通す」なんて言うと、少し古風で堅苦しい言葉に聞こえるかもしれませんね。私がここで言いたいのは「頑固になれ」とか「誰の意見も聞くな」ということでは全くありません。
私が思う「筋を通す」というのは、自分の中に、一つ、確かな”判断基準”を持つ、ということです。そして、何かを決断する時に、その自分だけの基準に照らし合わせて、「これは、自分の信念に反していないか」「これは、未来の自分が、後悔しない選択か」と、静かに問いかける。その、自分自身との対話のプロセスを大事にしたい、ということなんです。
評価という”天気”に心を振り回されないために
受験生の皆さんの毎日は、常に「評価」にさらされています。模試の偏差値、クラスの順位、先生からの言葉、親からの期待…。それらは、まるで”天気”のように、目まぐるしく変わりますよね。
A判定が出た日は、心が晴れやかになり、E判定が出た日は、土砂降りの雨の中にいるような気分になる。他人の評価という”天気”に、自分の心の状態が、完全に支配されてしまう。それは、すごくしんどいことだと思うんです。
でも、もしあなたの中に「自分は、この計画を、これだけの熱量で、やり抜くと決めたんだ」という、揺るぎない”筋”が一本通っていたら、どうでしょう。たとえ、模試の結果が悪くても、「やり方が間違っていたのかもしれない。修正しよう」と、冷静に次の一手を考えることができる。自分の価値そのものが、揺らぐことはないんです。
他人の評価は、あくまで”外”の出来事。自分の価値は、自分の”内”にある。その境界線を、はっきりと引く。そのための、お守りのようなものが、「筋を通す」という考え方なのかもしれません。
人からどう思われるか、というのは、結局のところ、私たちにはコントロールできない領域です。でも、自分がどう考え、どう行動するかは、100%、私たちがコントロールできる領域です。
コントロールできないことに心を悩ませるよりも、コントロールできることに、誠実に向き合う。その方が、ずっと力強くそして穏やかに生きていけるんじゃないかな、と。
この独白も何度目かになる戒めの一つです。私自身も「自分にされて嫌なことを人にするな」「自分はいいけど他人が同じようなことするのはだめだ」という考えに時折とらわれがちです。そうした不義理な人間にならないためにも、今日も反省と実践を続けていきたいです。