ウクライナ・ロシアの関係【世界史】
更新日 : 2025年8月18日

ロシアとウクライナの関係史は、同じ東スラブ民族を基盤としながらも、政治・宗教・文化・領土をめぐる複雑な歴史の積み重ねで形成されてきました。大まかに以下の流れで整理できます。
中世(9~13世紀)
- キエフ・ルーシ(9世紀後半~):現在のウクライナ・ベラルーシ・ロシアの起源とされる国家。首都はキエフ(現ウクライナの首都)。
- 東方正教をビザンツから受容し、東スラブ文化の共通基盤を形成。
- 1240年、モンゴル軍(バトゥの侵攻)によりキエフは破壊され、衰退。
リトアニア・ポーランド支配期(14~17世紀)
- キエフ・ルーシ解体後、ウクライナの大部分は リトアニア大公国、のちに ポーランド王国 の支配下に入る。
- この時期にウクライナ正教会はポーランド・カトリック勢力との対立を経験し、民族的・宗教的アイデンティティが強まった。
- コサック共同体(ザポロージャ・シーチ)が形成され、ウクライナ民族意識の核となる。
ロシア帝国への併合(17~19世紀)
- 1654年:ペレヤスラフ協定により、コサック・ヘーチマン国家がモスクワ大公国(後のロシア帝国)の保護下に入る。
- その後ロシアはウクライナの自治を徐々に制限し、19世紀には完全に帝国の一部へ。
- ウクライナ語や文化はしばしば抑圧され、ロシア化政策が進む。
ソ連時代(1922~1991)
- 1917年のロシア革命後、短期間のウクライナ人民共和国が成立するが、内戦の末にソ連に併合され、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国となる。
- 1932~33年:スターリンの農業集団化政策でホロドモール(大飢饉)が発生し、数百万人が死亡。ウクライナ人の反ロシア感情を決定的に強める。
- 第二次世界大戦中、ナチス・ドイツ占領を経験し、その後は再びソ連に編入。
- ソ連内で「穀倉地帯」として重要な地位を占めるが、独立志向も根強く残る。
独立後(1991~)
- 1991年:ソ連崩壊に伴い、ウクライナ独立を宣言。国民投票でも圧倒的多数が賛成。
- ロシアとの関係は揺れ動き、エネルギー供給・クリミア半島の帰属・NATO/EUとの関係などをめぐり緊張が続く。
主な対立の転機
- 2004年:オレンジ革命(親欧米政権が誕生)。
- 2014年:親露派政権崩壊後、ロシアが クリミアを併合、東部ドンバスで親露派武装勢力が台頭。
- 2022年:ロシアがウクライナへ全面侵攻。現在に至るまで戦争状態が続く。
現在の関係
- ウクライナはEU・NATO加盟を目指す動きを加速。
- ロシアは歴史的・地政学的にウクライナを自国の「勢力圏」と見なす立場を強調。
- 両国の歴史は「同じ起源を共有する兄弟国家」というロシア側の語りと、「独自の民族国家」としての自立を求めるウクライナ側の語りが鋭く対立している。
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