チベットの歴史【世界史】
更新日 : 2025年9月6日

チベットの歴史は、宗教・文化・地政学が複雑に絡み合った特異な歩みをたどってきました。以下に、重要な時代ごとにその概要をまとめます。
🏔 チベットの歴史概要
1. 古代チベット(~7世紀)
- 先住民族とボン教文化:チベット高原には古くから牧畜を行う部族が住み、シャーマニズム的な「ボン教(Bon)」が信仰されていました。
- 明確な国家形成はこの時点では見られませんが、独自の文化圏が築かれていました。
2. 吐蕃(とばん)王国時代(7~9世紀)
- ソンツェン・ガンポ王(在位:7世紀)
- チベット初の統一国家を築き、唐(中国)やネパールの王女と婚姻。
- 仏教を導入、最初の寺院を建立。
- 軍事的拡大
- 唐と対立・同盟を繰り返しながら、シルクロード沿いに勢力を広げた。
- 仏教の広まり
- インドや中国からの影響でチベット仏教の基礎が形成される。
- 王朝の衰退と分裂(9世紀末)
- 王権弱体化により王国は崩壊し、群雄割拠の時代へ。
3. 分裂時代と宗教勢力の台頭(10~13世紀)
- チベット仏教諸宗派の成立
- ゲルク派・ニンマ派・サキャ派などが誕生。
- 僧院が権力の中心に
- 政治的な指導者が存在せず、僧院が支配権を握る地域も増加。
4. モンゴル帝国の影響(13~14世紀)
- サキャ派が支配権を得る
- モンゴル帝国(元)に仕えたサキャ派が「チベット全土の支配者」に。
- 宗教と政治の融合が進む。
- 「チベット仏教」がモンゴルに伝播
- 現在もモンゴル仏教はチベット仏教の影響を強く受けています。
5. ダライ・ラマ制の成立(15~17世紀)
- ゲルク派(黄帽派)の台頭
- 宗教改革運動を起こし、最大勢力に。
- ダライ・ラマ制度の始まり
- 3代目ダライ・ラマがモンゴルと同盟し、「法王」としての地位を確立。
- 17世紀:ガンデンポタン政権
- 5代目ダライ・ラマが全チベットを統一。政教一致の「チベット政権」が成立。
6. 清朝の保護国時代(18~19世紀)
- チベットの「属国化」
- 清がチベットに「駐蔵大臣(アンバン)」を派遣。
- 形式的な自治
- 実際には内政をダライ・ラマ政権が行い、宗教国家としての機能を維持。
7. 英国・ロシアとの地政学的対立(19世紀後半)
- 「グレート・ゲーム」の一環としてチベットが注目される。
- 1904年:英軍がラサに侵攻し、短期間占領。
- 清が再度支配を強化。
8. 中華民国・チベット独立宣言(1912〜1950)
- 清朝崩壊(1911)後、チベットは実質的独立状態に
- 13代ダライ・ラマが中国からの独立を宣言。
- 国際的には広く承認されなかったが、内政・外交は独自に運営。
9. 中国による併合と現在(1950〜現在)
- 1950年:中国人民解放軍が侵攻
- 翌1951年、「チベット平和解放17条協定」が結ばれ、中国への併合が決定。
- 1959年:ダライ・ラマ14世がインドへ亡命
- チベット蜂起が弾圧され、亡命政府(ダラムサラ)が設立。
- 文化大革命による破壊(1960〜70年代)
- 多くの僧院・宗教文化が破壊される。
- 現在
- チベット自治区として中国の支配下にあり、文化・宗教の抑圧が続いていると国際的に批判あり。
- 一方、中国は「発展と近代化が進んでいる」と主張。
🧘♂️ チベットの特徴的要素
項目 | 内容 |
---|---|
宗教 | チベット仏教(ラマ教)、輪廻転生の概念、僧院中心社会 |
文化 | 独自の文字(チベット文字)、曼荼羅、転経器、僧衣 |
政治体制 | 歴史的に政教一致体制が多く、ダライ・ラマが宗教・政治の両面を統治 |
国際問題 | 亡命政府の存在、人権問題、文化抑圧に対する国際的な関心と批判 |
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