フランク王国【世界史】
更新日 : 2025年10月29日

フランク王国(Frankish Kingdom)は、西ヨーロッパ中世の出発点とも言える非常に重要な王国です。以下にわかりやすく整理します。
🏰 フランク王国の概要
■ 成立
- 成立時期:5世紀後半(西ローマ帝国滅亡と同時期)
- 創始者:クローヴィス1世(Clovis I)
- 民族:ゲルマン系フランク族
- 都:初期はトゥールネー、後にパリへ
クローヴィス1世は、周辺のゲルマン部族を統一し、メロヴィング朝を開きました。
✝️ クローヴィスのキリスト教改宗
- クローヴィスは戦いに勝利した後、ローマ=カトリックに改宗。
- 当時の他のゲルマン王国はアリウス派キリスト教徒(異端)だったため、
カトリック信仰はローマ教会とガリアの人々の支持を得る大きな武器となりました。
→ これにより、フランク王国は「教会と王権の協力」の基礎を築きます。
⚔️ カロリング朝の登場
- 8世紀、王権が弱体化したメロヴィング朝に代わり、
実権を握った宮宰(マヨル・ドムス)ピピン3世が王に即位(751年)。
→ カロリング朝の始まり。
👑 カール大帝(シャルルマーニュ)
- ピピン3世の息子、カール大帝(Charlemagne)が最盛期を築く。
- 西ヨーロッパの大部分を統一し、800年にローマ教皇から帝冠を授けられる。
→ 「西ローマ帝国の復活」とされ、後の神聖ローマ帝国の原型となる。
📜 ヴェルダン条約(843年)
カール大帝の死後、孫たちの間で王国が分割される。
| 分割名 | 担当 | 現代の地域 |
|---|---|---|
| 西フランク王国 | シャルル2世(禿頭王) | フランス |
| 東フランク王国 | ルートヴィヒ2世(独眼王) | ドイツ |
| 中部フランク王国 | ロタール1世 | イタリア~中部ヨーロッパ |
→ この分裂が、フランスとドイツの起源になります。
🧭 フランク王国の意義
- 西ヨーロッパ中世の政治・文化の基盤を形成。
- 教会と王権の協力体制(聖俗一致)の始まり。
- 後の「ヨーロッパ」という概念の原点。
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