チェコとスロバキアの歴史【世界史】
更新日 : 2025年10月14日

チェコとスロバキアの歴史は、ヨーロッパの民族問題や大国の影響を受けながら形成されてきた複雑なものです。大きな流れを整理してご説明します。
中世まで
- 大モラヴィア帝国(9世紀)
スロバキア地域を中心に成立。キリル文字を広めたキュリロスとメトディオス兄弟が布教したことでも知られる。 - ボヘミア王国(10世紀〜)
チェコ地域(ボヘミア)が形成。神聖ローマ帝国の一部となり、プラハは中欧の重要都市となる。 - ハンガリー王国支配
スロバキアは長くハンガリーに属し、民族的にマジャル人の影響を強く受けた。
近世〜近代
- ハプスブルク支配(1526〜)
モハーチの戦い以降、ボヘミア・スロバキアともにハプスブルク家の支配下に入り、オーストリア帝国に組み込まれる。 - 民族運動の高まり(19世紀)
チェコでは「民族復興運動」が盛んになり、チェコ語教育や文化復興が進む。スロバキアもスロバキア語の確立を進めたが、ハンガリー当局のマジャル化政策に苦しんだ。
チェコスロバキアの成立(1918)
- 第一次世界大戦後
オーストリア=ハンガリー帝国の崩壊を受け、1918年に「チェコスロバキア共和国」が成立。マサリクが初代大統領に。 - 民族多様性(チェコ人・スロバキア人・ドイツ人・ハンガリー人など)を抱える国家となる。
第二次世界大戦期
- ミュンヘン会談(1938)
ドイツがズデーテン地方を併合。チェコスロバキアは分割され、チェコはドイツの保護領、スロバキアはナチスの傀儡政権として独立。 - 戦後(1945)
再びチェコスロバキア共和国が復活。
冷戦期
- 共産化(1948)
ソ連の影響下で共産党政権が樹立。 - プラハの春(1968)
ドプチェク政権の「人間の顔をした社会主義」改革をソ連が弾圧。 - 連邦制(1969)
「チェコ社会主義共和国」と「スロバキア社会主義共和国」の二つの共和国からなる連邦制へ移行。
民主化と分離
- ビロード革命(1989)
東欧革命の一環として共産党政権が崩壊、民主化が進む。ハヴェルが大統領に。 - ビロード離婚(1993)
平和的に「チェコ共和国」と「スロバキア共和国」に分離。
現代
- 両国とも 2004年にEU加盟、NATO加盟。
- チェコは製造業(自動車など)、スロバキアは工業・IT産業などで発展を続けている。
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