ルーマニアの歴史【世界史】
更新日 : 2025年9月21日

ルーマニアの歴史は、東欧の複雑な民族・宗教・地政学的な背景の中で形成されてきた独特のものです。大まかな流れを整理します。
古代〜中世
- ダキア王国(紀元前1世紀〜106年)
現在のルーマニア地域にはダキア人(トラキア系民族)が住み、金や塩などの資源を背景に王国を築きました。
106年、ローマ帝国のトラヤヌス帝が征服し「ダキア属州」となります。 - ローマ化と民族移動時代(3〜10世紀)
ラテン語文化が残り、ルーマニア語の基礎が形成。
その後、ゲルマン人、フン族、アヴァール人、スラヴ人などの移動・侵入を受け、多様な影響を受けます。 - 中世の公国の成立(13〜14世紀)
- ワラキア公国(14世紀成立)
- モルダヴィア公国(14世紀成立)
- トランシルヴァニア公国(ハンガリー王国の影響下)
この3地域がルーマニア史の中心となります。
近世〜近代
- オスマン帝国の影響(15〜18世紀)
ワラキア・モルダヴィアはオスマンの宗主権下に入り、自治を保ちながらも貢納を行いました。
トランシルヴァニアはハンガリーやオーストリア・ハプスブルクの影響下に置かれます。 - 民族意識の高まり(18〜19世紀)
ナショナリズムが広まり、「ルーマニア人」という共通意識が強まります。
1859年、ワラキアとモルダヴィアが統合し「ルーマニア公国」が成立。 - 独立と王国時代(1877〜1918年)
1877年、露土戦争を機にオスマン帝国から独立。
1881年「ルーマニア王国」となり、第一次世界大戦後にはトランシルヴァニアなどを獲得し「大ルーマニア」と呼ばれる領域に拡大。
現代史
- 第二次世界大戦
初めは枢軸国(ナチス・ドイツ側)に参加しましたが、1944年に連合国側に転じます。
戦後はソ連の影響下に入り、共産主義体制が確立。 - チャウシェスク政権(1965〜1989年)
独裁色の強い社会主義体制。独自外交を展開しましたが、経済悪化と強権政治で国民の不満が爆発。
1989年の東欧革命でチャウシェスク夫妻が処刑され、共産主義体制は崩壊。 - 民主化以降(1990年代〜現在)
民主化・市場経済化を進め、2004年にNATO加盟、2007年にEU加盟。
現在も汚職問題や経済格差を抱えつつ、欧州の一員として発展を模索しています。
ポイントまとめ
- 言語はラテン系(周囲はスラヴ系が多い中で独自)。
- 中世はワラキア・モルダヴィア・トランシルヴァニアの3公国が中心。
- 19世紀に統合・独立 → 王国へ。
- 第二次世界大戦後は社会主義 → 1989年革命で民主化。
- 現在はEU・NATO加盟国。
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