アゼルバイジャンの歴史【世界史】
更新日 : 2025年9月24日

アゼルバイジャンの歴史を大まかな流れで整理します。
古代~中世
- 古代コーカサス・アルバニア王国
現在のアゼルバイジャン一帯は古くから「コーカサス・アルバニア」と呼ばれる地域で、イラン系・トルコ系・コーカサス系など多様な民族が共存しました。 - ペルシア帝国の支配
アケメネス朝やササン朝ペルシアの支配下に入り、ゾロアスター教が広まりました。 - イスラム化(7世紀以降)
アラブ帝国(ウマイヤ朝、アッバース朝)の支配下でイスラム教が浸透しました。
トルコ系の進出
- セルジューク朝(11世紀)
トルコ系遊牧民の流入により、テュルク系文化とイスラムが融合。現代アゼルバイジャン人の民族的基盤が形成されました。 - イルハン朝・ティムール朝
モンゴル帝国の支配を受けつつも、商業・文化の中心地として発展。
近世:サファヴィー朝とオスマン帝国
- サファヴィー朝(16世紀~18世紀)
シーア派イスラムが国教となり、アゼルバイジャンでもシーア派信仰が根付く。 - オスマン帝国との抗争
コーカサスはペルシア(サファヴィー朝・カージャール朝)とオスマン帝国の間で争奪戦が続きました。
近代:ロシア帝国支配
- 19世紀前半
ロシア=ペルシア戦争の結果(トルコマンサイ条約・1828年)、現在のアゼルバイジャン北部はロシア領に編入され、南部(現在のイラン・アゼルバイジャン州)はペルシアに残りました。 - バクー油田(19世紀後半)
世界有数の石油産地として開発が進み、バクーは国際的都市に成長。
20世紀前半:独立とソ連化
- 1918年:アゼルバイジャン民主共和国
カフカース地方で初めての近代的なイスラム国家として独立。 - 1920年:ソビエト化
赤軍侵攻によりアゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国となり、ソ連の一部に組み込まれました。
20世紀後半:ナゴルノ=カラバフ問題
- ソ連時代
ナゴルノ=カラバフ自治州(住民の多くはアルメニア人)がアゼルバイジャン領に編入されました。 - 1988年以降
ソ連末期にアルメニアとの対立が激化し、ナゴルノ=カラバフ戦争(第一次:1988–1994)が勃発。
現代
- 1991年:独立回復
ソ連崩壊とともに独立国家となる。 - ヘイダル・アリエフ政権(1993–2003)
安定と石油外交を進め、バクー=トビリシ=ジェイハン(BTC)パイプライン建設を推進。 - イルハム・アリエフ政権(2003–現在)
強権的統治の下、石油・ガス資源を背景に経済成長。 - ナゴルノ=カラバフ紛争の再燃
- 2020年:第二次ナゴルノ=カラバフ戦争で大規模な領土回復。
- 2023年:アゼルバイジャン軍が残存勢力を制圧し、アルメニア人住民が大規模に退避。
✅ まとめ
アゼルバイジャンは、古代からペルシア・イスラム・トルコ・ロシアといった大国の影響を受けてきました。20世紀にはソ連支配と独立を経験し、現在は石油資源を背景に地域大国化を進める一方、ナゴルノ=カラバフ問題が歴史的な対立軸として続いてきました。
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