ペルシアの歴史【世界史】
更新日 : 2025年9月11日

ペルシアの歴史は非常に長く、古代から現代に至るまで世界史に大きな影響を与えてきました。ここでは大きな流れを整理します。
古代ペルシア
- アケメネス朝(前550~前330年)
キュロス2世が建国。ダレイオス1世の時代には東はインド、西はエジプト・ギリシャに迫る大帝国に。ペルセポリスを築き、「王の道」などで交通・交易も整備。
しかしギリシャ遠征(ペルシア戦争)に失敗し、アレクサンドロス大王に滅ぼされる。 - セレウコス朝・パルティア(前330~後224年)
アレクサンドロス帝国の後、セレウコス朝が支配するが、イラン系のパルティアが台頭しローマと抗争。東西交易の要所を押さえた。 - ササン朝(224~651年)
ゾロアスター教を国教とし、中央集権国家を築く。ローマ帝国・ビザンツ帝国と長期にわたって戦う。文化的にはササン美術やイラン文化が栄えるが、イスラム勢力の拡大により滅亡。
イスラム化と中世ペルシア
- ウマイヤ朝・アッバース朝支配下(7~9世紀)
イスラム教が広がり、ペルシア文化と融合。数学・天文学・医学などで重要な学者を輩出。ペルシア語(ダーリー語)が文芸の中心に。 - セルジューク朝・イルハン国(11~14世紀)
トルコ系やモンゴル系の王朝が支配。モンゴルのフラグが建てたイルハン国では、ペルシア文化がモンゴル帝国に取り入れられる。 - ティムール朝(14~15世紀)
ティムールの征服活動で大きな影響を残す。文化面ではペルシア芸術が花開いた。
近世・近代
- サファヴィー朝(1501~1736年)
シーア派イスラム(十二イマーム派)を国教化。イラン=シーア派国家としての基盤を築く。イスファハーンの建築群などが有名。 - カージャール朝(1796~1925年)
西欧列強の干渉が強まり、ロシアとの戦争で領土を失う。19世紀後半には立憲革命が起き、近代国家への動きが始まる。
現代イラン
- パフラヴィー朝(1925~1979年)
レザー・シャー、モハンマド・レザー・シャーが近代化政策を推進するが、独裁色が強まり国内不満が蓄積。アメリカの影響も大きい。 - イラン・イスラム共和国(1979年~現在)
ホメイニ師の指導で革命が起き、イスラム共和国が成立。以降、宗教指導者が強い権限を持つ体制に。イラン・イラク戦争(1980~88年)などを経て、現在も中東の大国として存在感を示している。
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