オーストリアの歴史【世界史】
更新日 : 2025年10月13日

オーストリアの歴史を大きな流れで整理します。
古代~中世の始まり
- ケルトとローマ時代
現在のオーストリアには古代ケルト人が住み、その後紀元前15年ごろにローマ帝国に編入されました。ノリクム属州として発展し、商業・軍事拠点となります。 - ゲルマン民族移動期
5世紀以降はゲルマン民族やアヴァール人、スラヴ人が流入し、フランク王国の勢力下に入りました。
中世の形成
- バーベンベルク家の時代(976年~1246年)
「オーストリア辺境伯領」として誕生。次第にドナウ川流域で領土を広げ、文化の基盤を整えます。 - ハプスブルク家の登場(1278年~)
1278年のマルヒフェルトの戦いでハプスブルク家が支配を確立。以降、約600年以上にわたりオーストリアとヨーロッパ政治の中心となりました。
ハプスブルク帝国と多民族国家
- 神聖ローマ帝国と婚姻戦略
「戦争より結婚で勝利せよ」の格言通り、ハプスブルク家は婚姻によって広大な領土を獲得(スペイン、ボヘミア、ハンガリーなど)。 - 三十年戦争(1618–1648)
宗教対立から始まり、オーストリアも大きな戦禍を受けましたが、中央ヨーロッパの覇権を維持しました。 - オーストリア継承戦争(1740–1748)
マリア・テレジアが即位。近代化改革を進め、軍事・教育・行政制度を整備しました。 - ナポレオン戦争期
1804年に「オーストリア帝国」を成立。1806年には神聖ローマ帝国が解体されます。
19世紀:帝国から二重帝国へ
- ウィーン会議(1814–1815)
ナポレオン戦争後、オーストリアはヨーロッパ秩序の中心となりました。 - 民族問題と自由主義運動
多民族国家のため、ハンガリーやチェコで独立運動が頻発。 - オーストリア=ハンガリー二重帝国(1867–1918)
妥協の結果、ハプスブルク家はオーストリアとハンガリーの二重帝国を形成しました。
20世紀:戦争と変革
- 第一次世界大戦(1914–1918)
サラエボ事件で開戦のきっかけを作ったのはオーストリア皇太子暗殺でした。敗戦により帝国は崩壊。 - オーストリア共和国(1918–1938)
小国化し、経済的困難に直面。1938年、ナチス・ドイツに併合(アンシュルス)。 - 第二次世界大戦後
1945年に連合国軍の占領下に置かれ、1955年「永世中立国」として独立を回復しました。
現代オーストリア
- 冷戦期
東西両陣営の狭間で中立を維持し、国際機関(IAEA、OPEC本部など)の拠点となります。 - EU加盟(1995年)
経済・政治的にヨーロッパ統合に参加。 - 今日
音楽(ウィーン)、観光(アルプス、歴史都市)、外交中立国として世界的に影響を持ち続けています。
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