アルメニアの歴史【世界史】
更新日 : 2025年9月27日

アルメニアの歴史を、時代ごとに整理してご紹介します。
古代アルメニア
- 起源
紀元前9世紀頃、ウラルトゥ王国(首都は現在のエレバン近郊)が興隆。のちに「アルメニア人」と呼ばれる人々の文化的基盤を形成しました。 - アルメニア王国の成立
紀元前6世紀、アケメネス朝ペルシャの支配下に入りますが、紀元前2世紀にアルタクシアス朝アルメニア王国が独立。特に ティグラネス2世(大王) の時代(紀元前95~55年)は、アルメニア帝国が最大領土を誇り、地中海からカスピ海にまで勢力を拡大しました。
中世アルメニア
- 初のキリスト教国
301年、アルメニアは世界で最初にキリスト教を国教として採用した国となりました。これが民族的アイデンティティの核となります。 - 分割支配
5世紀以降、サーサーン朝ペルシャと東ローマ帝国に分割されます。アルメニア文字は405年に聖メスロプ・マシュトツによって創られ、文化と信仰を守る武器となりました。 - 中世の王国
バグラトゥニ朝アルメニア(885~1045年)が復活し首都アニは「千の教会の都」として栄えました。しかし11世紀にセルジューク朝の侵攻を受け、のちにキリキア・アルメニア王国(1198~1375年)が十字軍国家と連携して地中海沿岸で栄えました。
近世から近代
- オスマン帝国とサファヴィー朝の狭間
16世紀以降、アルメニアはオスマン帝国とイラン(サファヴィー朝)の戦場となり分割支配を受けます。 - ロシア帝国への併合
19世紀、ロシア帝国が南下政策を進め、東アルメニアはロシア領に編入。西アルメニアは依然オスマン帝国領でした。 - アルメニア人大虐殺(1915年)
第一次世界大戦中、オスマン帝国は「アルメニア人の反乱」を口実に大量虐殺を実行し、100万人以上が犠牲になったとされます。これは今日も国際政治上の大きな問題です。
近現代
- 第一次共和国(1918~1920年)
短命ながらアルメニア民主共和国が独立。 - ソ連時代(1922~1991年)
ソビエト連邦の一共和国「アルメニア・ソビエト社会主義共和国」となり、工業化や教育発展が進みました。 - 独立と紛争
1991年、ソ連崩壊とともに独立。すぐにナゴルノ・カラバフ地域をめぐりアゼルバイジャンとの紛争(第一次カラバフ戦争)が勃発。2020年・2023年にも大規模な戦闘が起き、領土問題は今も続いています。
現代のアルメニア
- 首都は エレバン。人口約300万人。
- 強いディアスポラ(海外移住民)を持ち、文化・経済的に国際社会との結びつきが深い。
- 課題は経済発展と安全保障。特にトルコ・アゼルバイジャンとの国境問題は依然として大きな懸念事項です。
現論会では年間計画、週間計画、学習日誌で個別最適化された効率学習で志望校合格に導きます。
無料受験相談 実施中!
「今の自習法で成績が伸びるか不安…」
「何から手をつければいいか分からない…」
そんな方には、現論会の無料受験相談がおすすめです!
https://genronkai.com/free-consultation/#g-consultation-form