満州の歴史【日本史近現代】
更新日 : 2025年9月25日

満州の歴史について、大きな流れを整理します。
古代〜近世
- 古代
満州はツングース系民族やモンゴル系民族が住む地域で、中国王朝や遊牧国家の勢力が入り交じるフロンティアでした。高句麗や渤海国の領域にも含まれていました。 - 金・清の故地
女真族が建てた金王朝(12〜13世紀)、のちに清朝を建てた満洲族(女真族)が拠点としたのもこの地域です。清は「龍興の地」として満洲を特別視し、漢民族の移住を制限しました。
近代(19世紀後半〜20世紀初頭)
- ロシアと日本の進出
19世紀末になると、清朝の弱体化に乗じてロシアが満洲へ鉄道を敷設し、南下政策を進めます。これに対抗して日本も日清戦争(1894–95)で遼東半島を得ようとしますが、三国干渉で返還を余儀なくされました。 - 日露戦争(1904–05)
満洲は戦場となり、ポーツマス条約で日本は南満洲鉄道(満鉄)と旅順・大連の権益を獲得します。以後、日本は南満洲を経済・軍事の拠点としました。
満州事変と満州国(1931–45)
- 満州事変(1931)
柳条湖事件をきっかけに関東軍が軍事行動を起こし、満洲全域を占領。 - 満州国建国(1932)
日本の傀儡国家として清朝最後の皇帝・溥儀を執政に据えます。表向きは独立国でしたが、実際は日本の支配下にあり、資源開発・移民政策・五族協和の宣伝が進められました。 - 戦時体制
満州国は日本の大陸政策の要であり、工業地帯・資源供給地として利用されました。
戦後(1945以降)
- ソ連の進駐と中華民国の復帰
1945年8月、ソ連軍が満洲に侵攻、日本の支配は崩壊。国共内戦の舞台ともなり、最終的には中国共産党の支配下に。 - 現在
満洲という地名は行政上は使われず、中国の「東北地方(遼寧・吉林・黒竜江省)」として発展しています。重工業地帯・旧ソ連型の産業基地として発展しましたが、改革開放後は「東北の衰退」が課題になっています。
✅ まとめると、満洲は
- 古代〜清朝:辺境かつ民族の揺れ動く地
- 近代:列強の角逐の舞台
- 1930〜40年代:日本の傀儡国家「満州国」
- 戦後:中華人民共和国の東北地方
という変遷をたどっています。